[私の作品について]

 

私は文字や記号をモチーフとして制作を続けている。現在は漢字や数字の作品を多く作っているが、それらの物質化の試みである。私の中に存在し続ける意味の「幻想」を、物質としての文字や記号の表現によって、造形的にあぶりだし、それらの意味を宙空に浮遊させる実験的作品である。

 

現在、急速に電子化している言葉と文字や記号の中に、自然の自己形成的絶対現象を現出させることにのみ興味がある。また、日々益々均質化してゆく言語記号によって侵略される私の精神を、少しでも解放し救済する試みに他ならないと言える。

 

私の遠い記憶にある世界との言葉以前の繋がりとして、風や光や水、土、樹木などを、心と体で無意識に体感し得た幼児期への回帰を、密かに目論んでいるのかも知れない。私にとっての言葉の再生であり、私の言葉によって出現する世界の再生であり、そして、今ここに存在する私という人間の再生の旅である。

 

 

 

 

-追記

 

学生時代から文字や記号をモチーフにして実験的な作品を制作してはいたが、大きな転機となったのが、学生時代に出会った李禹煥氏。借り物で何となく居心地の悪かった現代美術(現代アートでは無く)が、自分にとってより身近なものになった。

四十歳くらいから本格的に制作を開始した。

文字の物質的写真を大きくネコプリントやインクジェットプリントに拡大した作品やバーナーで文字を焼いた実験的作品など、電子文字が氾濫する現代に於いて、より物質的な特徴を顕在化させた文字表現である。また観念が物質として刻まれる絵文字、洞窟絵画、古代文字などにも非常に関心がある。

最近分かったことであるが、私は永い間ディスレクシア(難読症)が原因で文字の読解がなかなか出来なかったのではないか。かなり今は改善されてきているようだが、文字の物質表現への拘りは、その辺に原因があるのかも知れないと思っている。

最近はインスタレーションを発表している。

2011年の東日本大震災が、私にとっての二つ目の大きな転機であったと思う。

未曾有の大災害を前に何か発表しなければというのが正直なところであり、インスタレーションが表現スタイルとして適していた。それと、以前から自分のプライベートな領域での制作や発表形式に疑問を感じていて、より開かれた空間で何か出来ないかという事。その辺からインスタレーションをやりだしたように思う。何にでも規範があり限界があるのは承知の上で、少しでも自分にとっての可能態を探しながら制作していきたいと考えている。